一番最初に足を運んだお寺さんは避難所になっていたのですが、僕らが行った時にはすでに解散していて、物資の供給所になっていた。
自宅に避難された方々がそこに物資を取りに来るわけです。
断水もしているので、水のペットボトルなども置いてあり、食事はどうやらパンのようでした。
物資をお持ちした旨を話すと、足りている・・・・とのこと。
いろいろとお話を伺ったあと、私と同じ宗派のお寺へ行くことに。
そこも避難所だったのですが、すでに解散していました。
ですが、自宅避難者の方々の為に物資を置いていくことに。
お米や、水や、レトルトカレー、カセットコンロ・・・など。
住職さんや奥様にお話を伺うと、中学校に物資が足りないと聞いているとのこと。
物資の半分を、その中学校に持って行くことに。
中学校に着くと、パキスタンの方々が炊き出しをされている最中・・・本格的なカレーの炊き出し!
なんとおいしそうな・・・・
と、見ている場合ではなく、避難所の責任者の方とお話。
なんと、校長先生ではありませんか。
この中学校は避難所としては大きい方で、
避難所の管理を先生方が力を合わせてされているのです。
校長先生が中心となって、職員の方々は嫌な顔一つせず、動いてらっしゃる。
感動すら覚えます。
カセットコンロ用のガスを大量に持って行ったのですが、大喜び。
あとは、水と食料。
しっかりと管理されている様子でした・・・が、ここも避難所となってから数日は全く物資が届かなかったようなのです。
理由のひとつは、
地域を知る行政の末端組織の方々が被災されているから。
なのです。
行政は、縦割りと表現されますが、末端組織が一番重要なのです。地域を把握していますから。
校長先生と少しお話して、この日は帰路に。
そのあともいわきに何度か足を運ぶたびに校長先生のお話を伺っております。
この次に物資を運んだ時には、文房具を運びました。ノート、シャーペン、色鉛筆、定規、コンパス・・・実になんでもないもののように思われますが、家ごと流されるというのは、何も無くなってしまうということです。
命があれば、といいますが、せめて復興へのスタートラインの近い所に立っていただきたい。
その為のお手伝いをしたいという想いがあります。
2011年4月28日木曜日
2011年4月17日日曜日
最初に足を運んだ地。
私が最初に足を運んだ地は、福島県はいわき市でした。
同じ宗派のお寺と連絡が取れたので、物資を車に積み込んで、そのお寺に向かうことに。
3月23日でしたから、震災からは12日後のことです。
高速道路は波打ち、朝から震度5の余震も。カーナビのVICS情報では高速道路を降りろとの指示表示。しかしながら、目標のインターまで辿り着けました。
常磐道を降りると、車の長い列。
ガソリン給油の渋滞でした。
関東でも枯渇状態のガソリン。
私は運よく震災前にガソリンを満タンにし、携行缶にも20リットルのガソリンを入れておいたので、それを積んでの走行・・・・ガソリンが切れたら、帰れなくなるかもしれない状況でした。
そして、驚いたことにカーナビのVICS情報には、驚くべき表示が現れました。
こんな表示見たことない。一気に緊張感が増します。
街中は道路の隆起がありながらも、損壊の家屋はあまりみられませんでしたが、沿岸部を通ると、
涙無しには進めない光景がありました。
家屋は崩れ、流され・・・・その家屋の山を抜けて行きました。同行した妻と、涙を流しながら。
車から撮影したのです。撮影を躊躇する光景・・・・でしたが、物資のご協力頂いた方々に現状を報告することと、当山の檀家様方にも支援の輪を広げて頂く為に撮影をしました。
あとから気が付いたのですが、この家屋の200メートル以上先が、海です。
津波が来るとは、信じられない。
・・・目的のお寺の他に、他宗派のお寺も避難所になっているようでした。住職からの電話があり、まずはそこに向かうことに。そこは地図上で見るに、海から800メートルは離れた場所。
ですがそこにも津波は来ていたのです。
津波に押し流されたものが、田畑にまで・・・・
お寺自体には、津波の被害はなく、墓地が地震によって被害を受けたのみだとか。
同じ宗派のお寺と連絡が取れたので、物資を車に積み込んで、そのお寺に向かうことに。
3月23日でしたから、震災からは12日後のことです。
高速道路は波打ち、朝から震度5の余震も。カーナビのVICS情報では高速道路を降りろとの指示表示。しかしながら、目標のインターまで辿り着けました。
常磐道を降りると、車の長い列。
ガソリン給油の渋滞でした。
関東でも枯渇状態のガソリン。
私は運よく震災前にガソリンを満タンにし、携行缶にも20リットルのガソリンを入れておいたので、それを積んでの走行・・・・ガソリンが切れたら、帰れなくなるかもしれない状況でした。
そして、驚いたことにカーナビのVICS情報には、驚くべき表示が現れました。
こんな表示見たことない。一気に緊張感が増します。
街中は道路の隆起がありながらも、損壊の家屋はあまりみられませんでしたが、沿岸部を通ると、
涙無しには進めない光景がありました。
家屋は崩れ、流され・・・・その家屋の山を抜けて行きました。同行した妻と、涙を流しながら。
車から撮影したのです。撮影を躊躇する光景・・・・でしたが、物資のご協力頂いた方々に現状を報告することと、当山の檀家様方にも支援の輪を広げて頂く為に撮影をしました。
あとから気が付いたのですが、この家屋の200メートル以上先が、海です。
津波が来るとは、信じられない。
・・・目的のお寺の他に、他宗派のお寺も避難所になっているようでした。住職からの電話があり、まずはそこに向かうことに。そこは地図上で見るに、海から800メートルは離れた場所。
ですがそこにも津波は来ていたのです。
津波に押し流されたものが、田畑にまで・・・・
お寺自体には、津波の被害はなく、墓地が地震によって被害を受けたのみだとか。
2011年4月16日土曜日
余震の続くいわき市。
浜通り、中通り・・・・余震によってすっかり有名になってしまったこの呼称。
友人が地図帳を眺めて、「そんな通りの名前ねえよ?」と、言ったのだが、これは
福島県を縦にみっつに分けての呼び方なんだな。
地図みると、山脈がちょうど二つ、縦に線のように入ってる。
そうすると三つに分かれている・・・・という見方らしい。
その辺は、詳しい地元出身者に聞いてみて下さい(笑
で、
いわき市は中央に「平」という所があって、そこは結構な町です。
震災後、通電が始まるとお店が続々とオープンして、
割とスムーズに復興への道のりがついてきたかのように思われています。
けれど、4月11日の余震、そのあとも毎日のように震度4クラスの地震が起こり、
自宅に帰っていた方々が再び避難所暮らしになっているとのこと。
僕らが最後に訪れた時(4月9日)には、避難所にいる方々の人数も、
震災直後よりかなり少なかったのですが。
今は避難人数がドンと増えている場所もあるようです。
避難所では避難されている方々が自炊をされている所が多いようなのですが、
毎日のことになるので、やはり疲弊されているとのこと。
仲間で今度炊き出しにでも行くか!!と、打ち合わせ中。
いわき市は何故かわからないけれど、
「市民のボランティア以外受け付けない」
という体制がとられており、ボランティア登録が出来ない。
元地元民でも、市の御墨付きが頂けないのです。
市もご苦労されているようですが、人の善意を全て拒むようでは・・・・・ちょっと困るのではないでしょうか?
独居のご老人のお宅などにも、食料や衣料、医療に至るまで、お届け出来るだけのボランティアの人数確保がされているのでしょうか?
同じ福島でも南相馬は個人のボランティア、個人の物資受付を盛んに呼びかけて状況の改善を図ろうと努力されています。
自分達でなんとかする、というのも必要ですけれど、それはもっと後でいいのではないでしょうか?
どうにせよ、被災者の立場で物事が進められることを、祈るばかりです。
友人が地図帳を眺めて、「そんな通りの名前ねえよ?」と、言ったのだが、これは
福島県を縦にみっつに分けての呼び方なんだな。
地図みると、山脈がちょうど二つ、縦に線のように入ってる。
そうすると三つに分かれている・・・・という見方らしい。
その辺は、詳しい地元出身者に聞いてみて下さい(笑
で、
いわき市は中央に「平」という所があって、そこは結構な町です。
震災後、通電が始まるとお店が続々とオープンして、
割とスムーズに復興への道のりがついてきたかのように思われています。
けれど、4月11日の余震、そのあとも毎日のように震度4クラスの地震が起こり、
自宅に帰っていた方々が再び避難所暮らしになっているとのこと。
僕らが最後に訪れた時(4月9日)には、避難所にいる方々の人数も、
震災直後よりかなり少なかったのですが。
今は避難人数がドンと増えている場所もあるようです。
避難所では避難されている方々が自炊をされている所が多いようなのですが、
毎日のことになるので、やはり疲弊されているとのこと。
仲間で今度炊き出しにでも行くか!!と、打ち合わせ中。
いわき市は何故かわからないけれど、
「市民のボランティア以外受け付けない」
という体制がとられており、ボランティア登録が出来ない。
元地元民でも、市の御墨付きが頂けないのです。
市もご苦労されているようですが、人の善意を全て拒むようでは・・・・・ちょっと困るのではないでしょうか?
独居のご老人のお宅などにも、食料や衣料、医療に至るまで、お届け出来るだけのボランティアの人数確保がされているのでしょうか?
同じ福島でも南相馬は個人のボランティア、個人の物資受付を盛んに呼びかけて状況の改善を図ろうと努力されています。
自分達でなんとかする、というのも必要ですけれど、それはもっと後でいいのではないでしょうか?
どうにせよ、被災者の立場で物事が進められることを、祈るばかりです。
歌津のウニ。
南三陸町を抜けると歌津という場所があります。
山と海とが調和した、良い場所…そんなところでも、津波が来ていました。炊き出しをしたのは、海からは離れている山あいの場所。
・・・車は流され、鉄道の橋脚も線路も流され、家も、道も。
そんな中でも、今を精一杯生きている、自宅避難者と呼ばれる方々がいらっしゃいます。
その日の炊き出しはその歌津にある、半壊した民家の倉庫と、
ぐしゃぐしゃの車が横たわる庭先を借りて行いました。
準備が整って、配食が始まると皆さん、口々に、
ありがとね、本当にありがと!
と、私達に感謝の言葉をかけて下さいました。
私達が日常に食べる、ただが、豚汁一杯、肉まん一個……なのです。
でもそれはただの一杯、一個では無いわけです。
どんなに集団でボランティアに行っても、その位のことしか出来ません。
でも、その位のこと、が被災された方々にどんなに救いになるのか改めて考えさせられました。
この地域は水道は2年使えないそうです。
井戸水を皆が生活用水として使っているようです。
トイレを流すのも、一苦労なのです。
…歌津の自慢であったウニも、ワカメも、海が汚れたり、養殖場が流され、10年は取れないそうです。
半壊した家のおばあちゃんは、倉庫の中のかろうじて津波から守られたクーラーボックスの中から、塩漬けのウニを差し出して、
「お礼が出来ないけど、あなた達に食べて欲しい」
と、お手製塩漬けウニをくれました。
「この辺はねぇ、ウニは買ったりするもんじゃないくらいなんだ」と近所のおじさんもおっしゃる。
食べてみると、強い磯の香りが口の中に広がり、おばあちゃんの歌津への想いが私達にも伝わって来ました。
おばあちゃんの想い、この日記を読んでいる皆さんも、わかるでしょう?
僕も涙ためながら食べました。思い出すだけで鼻頭がツンツンします。泣きます。
おばあちゃん、ご馳走様でした!!
代わりに僕らが頑張ります!!
山と海とが調和した、良い場所…そんなところでも、津波が来ていました。炊き出しをしたのは、海からは離れている山あいの場所。
・・・車は流され、鉄道の橋脚も線路も流され、家も、道も。
そんな中でも、今を精一杯生きている、自宅避難者と呼ばれる方々がいらっしゃいます。
その日の炊き出しはその歌津にある、半壊した民家の倉庫と、
ぐしゃぐしゃの車が横たわる庭先を借りて行いました。
準備が整って、配食が始まると皆さん、口々に、
ありがとね、本当にありがと!
と、私達に感謝の言葉をかけて下さいました。
私達が日常に食べる、ただが、豚汁一杯、肉まん一個……なのです。
でもそれはただの一杯、一個では無いわけです。
どんなに集団でボランティアに行っても、その位のことしか出来ません。
でも、その位のこと、が被災された方々にどんなに救いになるのか改めて考えさせられました。
この地域は水道は2年使えないそうです。
井戸水を皆が生活用水として使っているようです。
トイレを流すのも、一苦労なのです。
…歌津の自慢であったウニも、ワカメも、海が汚れたり、養殖場が流され、10年は取れないそうです。
半壊した家のおばあちゃんは、倉庫の中のかろうじて津波から守られたクーラーボックスの中から、塩漬けのウニを差し出して、
「お礼が出来ないけど、あなた達に食べて欲しい」
と、お手製塩漬けウニをくれました。
「この辺はねぇ、ウニは買ったりするもんじゃないくらいなんだ」と近所のおじさんもおっしゃる。
食べてみると、強い磯の香りが口の中に広がり、おばあちゃんの歌津への想いが私達にも伝わって来ました。
おばあちゃんの想い、この日記を読んでいる皆さんも、わかるでしょう?
僕も涙ためながら食べました。思い出すだけで鼻頭がツンツンします。泣きます。
おばあちゃん、ご馳走様でした!!
代わりに僕らが頑張ります!!
2011年4月14日木曜日
ボランティア
大船渡市で、がれきの撤去作業に賃金を出して雇うという試みがされています。
これは画期的なことです。
素晴らしい。
けれども、地元の方々の体力も心配。
そこにボランティアがもっと加われば・・・と思うのですが。
僕も行って無料奉仕で手伝ってこようかなあ。
支援のニーズ、という言葉、妙な違和感を覚えるのです。
物資にしても、労働にしても、ニーズがあるかないか。
うーん、とはじめは思うのです。
けれど、良く考えるとニーズにそぐわないことを押し通そうとすると、、
それは本当に自己の目標達成のためにボランティアをしていることになってしまうのです。
善意の押し付け、なんて言葉もツイッタ―では見られました。
なるほど、そうだよなと思います。
人の為に何かしたい!!!
という想いを形にしたいのだけど、自分の思っている形と、被災地で求めている形が違うことが多々あります。テトリスを想像してみてください(笑
被災地の為に何かをするのだから、被災地の想いを汲むことが第一なのですよね。
被災地の為に、がいつの間にか自己実現の為に、になってしまっていると、これは全然違う。
僕自身、常に振り返って自分を見つめないといけないなと常に思っています。
使命感、達成感が過剰になると名誉欲が生まれます。
これは実は邪魔なものです。
人間の欲求の段階の研究で有名なマスローの論文がありますが、それと照らし合わせると、なるほどと思う部分が多いです。こういう論文は自分を見つめる良き材料になります。
使命感、達成感・・・・それはある程度は必要なモチベーションになるとは思うのですが、
それが過剰になり過ぎて、他者と対峙したときに、それが問題になることがあります。
深く考えると、なんだか複雑になってきますけれど、被災地はまだまだ支援が必要な状態です。
コンビニに行って買い物しておつりが出たら、その5円や10円や50円を募金箱に。
実はこれが大事なことです。
その習慣を付けていくことが、必要です。
これが、仏教の布施の精神でもあります。実践すれば仏道になります。
大船渡の雇用の例にしても、いつまでも市の財源がある訳ではないのですから、私たちが後方で支援していくことは非常に大切。
支援の輪が、小さくなりませんように。
これは画期的なことです。
素晴らしい。
けれども、地元の方々の体力も心配。
そこにボランティアがもっと加われば・・・と思うのですが。
僕も行って無料奉仕で手伝ってこようかなあ。
支援のニーズ、という言葉、妙な違和感を覚えるのです。
物資にしても、労働にしても、ニーズがあるかないか。
うーん、とはじめは思うのです。
けれど、良く考えるとニーズにそぐわないことを押し通そうとすると、、
それは本当に自己の目標達成のためにボランティアをしていることになってしまうのです。
善意の押し付け、なんて言葉もツイッタ―では見られました。
なるほど、そうだよなと思います。
人の為に何かしたい!!!
という想いを形にしたいのだけど、自分の思っている形と、被災地で求めている形が違うことが多々あります。テトリスを想像してみてください(笑
被災地の為に何かをするのだから、被災地の想いを汲むことが第一なのですよね。
被災地の為に、がいつの間にか自己実現の為に、になってしまっていると、これは全然違う。
僕自身、常に振り返って自分を見つめないといけないなと常に思っています。
使命感、達成感が過剰になると名誉欲が生まれます。
これは実は邪魔なものです。
人間の欲求の段階の研究で有名なマスローの論文がありますが、それと照らし合わせると、なるほどと思う部分が多いです。こういう論文は自分を見つめる良き材料になります。
使命感、達成感・・・・それはある程度は必要なモチベーションになるとは思うのですが、
それが過剰になり過ぎて、他者と対峙したときに、それが問題になることがあります。
深く考えると、なんだか複雑になってきますけれど、被災地はまだまだ支援が必要な状態です。
コンビニに行って買い物しておつりが出たら、その5円や10円や50円を募金箱に。
実はこれが大事なことです。
その習慣を付けていくことが、必要です。
これが、仏教の布施の精神でもあります。実践すれば仏道になります。
大船渡の雇用の例にしても、いつまでも市の財源がある訳ではないのですから、私たちが後方で支援していくことは非常に大切。
支援の輪が、小さくなりませんように。
2011年4月12日火曜日
4月10日レポート
5時半起床。6時出発。
僕らの出発に合わせて、おにぎりを作って下さった。梅干しと、鮭。
お米が本当においしい。友人とこれはうまい!!と貪りながら常磐道四倉より、東北道へ。
東北道をひたすら北上、一関インターを降りて、気仙沼経由で陸前高田に向かう。
被災地から離れた地域のガソリンの給油状況は良くなっている。
気仙沼に到着。以前写真を撮った場所に車を止める。火災の後は生生しいが、がれきを寄せて道がつくられていた。もの凄い仕事の速さ。
がれきの真ん中に出来た道を、歩いて通る人たち・・・・・どんな思いなのだろう。
海岸や山道を抜けて、陸前高田に向かう。
陸前に向かうものの、下調べはほとんど出来て居なかった。これは大いに反省。
ツイッターにて地元出身者や現地入りしている方より情報を得る。小友、という地区の被害も甚大らしい。
以前に降り立った市街地の観光案内所付近は、がれきの集積所になっており、山のようになっていた。そこを通り抜けて、小友、広田という地区に向かう。陸前高田の東部に位置する半島である。
この広田半島は、津波が町を挟み込むように両側より襲ってきたそうだ。
実際にカーナビで小友という駅名を検索して、到着したが、「どこに駅があるのかわからない」状況だった。
良く見れば、線路が曲がりに曲がり、土砂に埋もれているのがわかった。
あたりに家など見当たらない。向かいの高台に数件の家が見えたが、平地の家々は跡形もない。倒壊家屋の木材が大量に敷き詰められているような状態だった。
お寺の門前会館という所が地域の災害対策本部になっているとのことで、そこに向かう。
災害対策本部に到着。挨拶をして、話をするが、しかし、物資は受け取りしていないという。
市からの物資で足りている。という。個人からの物資は受け取らないという。
次に、広田地区へ向かう。
小学校が避難所になっていたり、キャンプ場が避難所になっていたりする。
キャンプ場は山の中にある。キャンプ場に向かい、そこでの管理者に話を伺うことにした。
個人からの物資を受け取らない理由の一つを、ここで聞くことになる。
それは、「物資が送られてきた後、請求書が送られて来た」という事件が発生したということ。
僕らは絶句した。
かなり気を使ってお話をして下さった。名刺をお渡しして、改めて挨拶をすると、物資を受け取って下さるという話の流れになった。
誰かわからない、という者よりの物資の受け取りはしないのだそうだ。
こちらは一応、宗教法人なので、信頼して下さったようだ。
カップ麺や御菓子類や、子供向けの下着、婦人向け鞄等、ほぼすべてをお渡しする。
子供向けの下着は需要があり、入るとすぐに無くなるそうだ。
仮設住宅の建設が始まり、入居することになると必要になるものが増える為、その為の物資の確保もしているそうである。物資が足りている、という状況ではないらしい。
お坊さんだから、お話するが・・・・ということで、様々なお話を。
安否を確認するため、遺体写真を見ることになったそうだが、御遺体は損傷が激しく、腕のみのものもあったり、頭が・・・・・・という中で、皆は安否確認をしなければならない。
精神的にもショックが大きい。
葬儀をしたい。けれど、この地域は丁寧に弔うのが当たり前で、近所の方々や親族を呼んで葬列を組む。葬儀をするということは、人を多く要する為、この震災の状況下では困難なことが多い。では、合同で、と、なると、安否不明者も含まれていたりして、未だ希望を持っている御家族がそれに反対をするということにもなっている。
宗派、宗教を超えて、どうにかならないか。せめて、遺体安置所の身元のわからない御遺体に対して読経をしてもらえないか・・・・
僕は遺体安置所に入れない地域が多々あること、僧侶もそれに対してもどかしさを募らせていること、寺院で追悼法会を明日、檀信徒を交えて行うことを伝えると、「それは本当に有難い、ぜひ、ぜひ、お願いします」と先方はおっしゃった。
供養の問題、これはしばらくして落ち着いてくると、やはり大きなしこりになってきてしまうかも知れないことを感じた。
また、「ボランティアにいらした方にいつも伝えていることがある、それは、泣かないで欲しいということ。辛いのは、僕らなのです。だから、泣かないで欲しい。泣きたいけれど、泣かないで頑張っているんだ。それはわかって下さい。」とおっしゃった。
最後に、別れ際におっしゃった一言が、想いの全てを物語る。それは、
「陸前高田は、観光で成り立ってきた町です。海も、山も川も素晴らしい。復興した時には、ぜひ皆さんで陸前高田にいらして下さい。」
・・・・水沢インターより、東北道を上り、横浜へ帰る。24時到着。 了
僕らの出発に合わせて、おにぎりを作って下さった。梅干しと、鮭。
お米が本当においしい。友人とこれはうまい!!と貪りながら常磐道四倉より、東北道へ。
東北道をひたすら北上、一関インターを降りて、気仙沼経由で陸前高田に向かう。
被災地から離れた地域のガソリンの給油状況は良くなっている。
![]() |
| 気仙沼 |
がれきの真ん中に出来た道を、歩いて通る人たち・・・・・どんな思いなのだろう。
海岸や山道を抜けて、陸前高田に向かう。
陸前に向かうものの、下調べはほとんど出来て居なかった。これは大いに反省。
ツイッターにて地元出身者や現地入りしている方より情報を得る。小友、という地区の被害も甚大らしい。
以前に降り立った市街地の観光案内所付近は、がれきの集積所になっており、山のようになっていた。そこを通り抜けて、小友、広田という地区に向かう。陸前高田の東部に位置する半島である。
![]() |
| 手県陸前高田市、小友付近 |
実際にカーナビで小友という駅名を検索して、到着したが、「どこに駅があるのかわからない」状況だった。
良く見れば、線路が曲がりに曲がり、土砂に埋もれているのがわかった。
あたりに家など見当たらない。向かいの高台に数件の家が見えたが、平地の家々は跡形もない。倒壊家屋の木材が大量に敷き詰められているような状態だった。
お寺の門前会館という所が地域の災害対策本部になっているとのことで、そこに向かう。
災害対策本部に到着。挨拶をして、話をするが、しかし、物資は受け取りしていないという。
市からの物資で足りている。という。個人からの物資は受け取らないという。
次に、広田地区へ向かう。
小学校が避難所になっていたり、キャンプ場が避難所になっていたりする。
キャンプ場は山の中にある。キャンプ場に向かい、そこでの管理者に話を伺うことにした。
個人からの物資を受け取らない理由の一つを、ここで聞くことになる。
それは、「物資が送られてきた後、請求書が送られて来た」という事件が発生したということ。
僕らは絶句した。
かなり気を使ってお話をして下さった。名刺をお渡しして、改めて挨拶をすると、物資を受け取って下さるという話の流れになった。
誰かわからない、という者よりの物資の受け取りはしないのだそうだ。
こちらは一応、宗教法人なので、信頼して下さったようだ。
![]() |
| 避難所となっている施設 |
子供向けの下着は需要があり、入るとすぐに無くなるそうだ。
仮設住宅の建設が始まり、入居することになると必要になるものが増える為、その為の物資の確保もしているそうである。物資が足りている、という状況ではないらしい。
お坊さんだから、お話するが・・・・ということで、様々なお話を。
安否を確認するため、遺体写真を見ることになったそうだが、御遺体は損傷が激しく、腕のみのものもあったり、頭が・・・・・・という中で、皆は安否確認をしなければならない。
精神的にもショックが大きい。
葬儀をしたい。けれど、この地域は丁寧に弔うのが当たり前で、近所の方々や親族を呼んで葬列を組む。葬儀をするということは、人を多く要する為、この震災の状況下では困難なことが多い。では、合同で、と、なると、安否不明者も含まれていたりして、未だ希望を持っている御家族がそれに反対をするということにもなっている。
宗派、宗教を超えて、どうにかならないか。せめて、遺体安置所の身元のわからない御遺体に対して読経をしてもらえないか・・・・
僕は遺体安置所に入れない地域が多々あること、僧侶もそれに対してもどかしさを募らせていること、寺院で追悼法会を明日、檀信徒を交えて行うことを伝えると、「それは本当に有難い、ぜひ、ぜひ、お願いします」と先方はおっしゃった。
供養の問題、これはしばらくして落ち着いてくると、やはり大きなしこりになってきてしまうかも知れないことを感じた。
また、「ボランティアにいらした方にいつも伝えていることがある、それは、泣かないで欲しいということ。辛いのは、僕らなのです。だから、泣かないで欲しい。泣きたいけれど、泣かないで頑張っているんだ。それはわかって下さい。」とおっしゃった。
最後に、別れ際におっしゃった一言が、想いの全てを物語る。それは、
「陸前高田は、観光で成り立ってきた町です。海も、山も川も素晴らしい。復興した時には、ぜひ皆さんで陸前高田にいらして下さい。」
・・・・水沢インターより、東北道を上り、横浜へ帰る。24時到着。 了
4月9日のレポート
朝6時過ぎに、横浜を出る。荷物の積み込みは前日に行う。
持って行くものは、子供用の下着類、文具、野菜チップス、豆菓子、甘納豆、チョコレート、中学生向け下着類。お寺や、親類の協力を得て、物資をそろえた。
高速道路は順調。ガソリンの給油状況も大幅に改善されている。いわき勿来で降りて、海沿いの状況を確認しながら北上する。かなりのペースで道路のがれきは片づけられている。
江名中学に到着。文具や中学生向けの下着類を降ろす。校長は土曜日の為休みのようだ。
住み込み状態だったと聞いていたので、休んでいると聞いてホッとした。
荷物の搬入先の部屋には、スニーカーが並べられており、鞄等もあった。どれも中学生向けと思われるもの。
江名より、四倉に向かうが、その前に豊間の海岸を視察する。海沿いの道が通れるようになっていたが、唖然とする他無い。家という家が基礎のみの状態。最初に来たときはここに車の乗り入れは無理だったように思われる。ひどい、凄惨、などの言葉しか自分には形容の言葉が見つからない。
そのまま美空ひばりの記念碑のある場所へ海岸沿いに向かう。
美空ひばりの記念碑は少しだけ高台にあるため、記念碑は津波の被害から逃れていたが、地震により、多少ずれていた。階段を下りた先にあるトイレは、土砂が流入して、下水道が詰まっている状態。
陸前高田に向かう予定もあり、いわき市の中心部、平に行って物資を揃える。
お昼ご飯は、ウナギが食いたいと言って入った店でなぜか天丼。
イオンにて小学生向けの男児、女児用の下着を各々買い揃える。サイズは140~160のものに絞った。意外と高い。後にしまむらを見つけて、しまったと思った。
問屋らしき店を見つけたため、そこでカップラーメン3箱と、水を3箱購入して四倉に向かう。
四倉の病院にほど近いお宅に向かう。そこは、同行した友人の友人の実家である。
田んぼや畑に囲まれ、海もほど近く、静かで最高の場所。
津波はここまでは来なかったらしい。
お宅は地震で塀や、屋根が損壊、納屋も傾いたため、解体したそうである。赤ちゃんが居るとのことで、先ほど購入した水を差し入れ。華正樓の肉まんも持参した。
しばらく話すと、四倉より北方の久ノ浜の話になり、連れて行ってもらうことに。
最短の6号線は土砂崩れの恐れがあるということで封鎖されており、迂回して久ノ浜に入る。
久ノ浜は壊滅状態と聞いていた。実際に見ても火災がひどく、家のほとんどが倒壊している。橋という橋が津波により薙ぎ払われていた。
久ノ浜の漁業組合は解散してしまったそうだ。つまり、この地域での漁業は出来ないことになる。
それにまつわる産業も、甚大なダメージを受けている。仕事が無いという状況。
久ノ浜は、原発の屋内退避地域と呼ばれる場所に本当に近い。
避難所に逃げた方々でも、また戻って来て生活をしているという。
原発に抗議する大きな看板が見られた。
久ノ浜より戻り、夕飯を御馳走になる。魚、米がうまい。こんなうまいものを食えなくする原発が、本当に憎い。生活を奪い、不安を与え・・・・・地元の人間なら、この憤りは計り知れない。
夕飯の最中に震度3程度の地震が何度かあったが、御家族は動じない。
これ、普通?と尋ねると、普通、という答え。風鈴が鳴ったら避難という目安らしい。
アナログにも程があるが、実はこれは正しいのかも知れない。
(4月11日の地震では、実際に風鈴が鳴り、避難したと聞いた)
しばらくお話をして、就寝。
持って行くものは、子供用の下着類、文具、野菜チップス、豆菓子、甘納豆、チョコレート、中学生向け下着類。お寺や、親類の協力を得て、物資をそろえた。
高速道路は順調。ガソリンの給油状況も大幅に改善されている。いわき勿来で降りて、海沿いの状況を確認しながら北上する。かなりのペースで道路のがれきは片づけられている。
江名中学に到着。文具や中学生向けの下着類を降ろす。校長は土曜日の為休みのようだ。
住み込み状態だったと聞いていたので、休んでいると聞いてホッとした。
荷物の搬入先の部屋には、スニーカーが並べられており、鞄等もあった。どれも中学生向けと思われるもの。
![]() |
| 平豊間 |
そのまま美空ひばりの記念碑のある場所へ海岸沿いに向かう。
美空ひばりの記念碑は少しだけ高台にあるため、記念碑は津波の被害から逃れていたが、地震により、多少ずれていた。階段を下りた先にあるトイレは、土砂が流入して、下水道が詰まっている状態。
陸前高田に向かう予定もあり、いわき市の中心部、平に行って物資を揃える。
お昼ご飯は、ウナギが食いたいと言って入った店でなぜか天丼。
イオンにて小学生向けの男児、女児用の下着を各々買い揃える。サイズは140~160のものに絞った。意外と高い。後にしまむらを見つけて、しまったと思った。
問屋らしき店を見つけたため、そこでカップラーメン3箱と、水を3箱購入して四倉に向かう。
四倉の病院にほど近いお宅に向かう。そこは、同行した友人の友人の実家である。
田んぼや畑に囲まれ、海もほど近く、静かで最高の場所。
津波はここまでは来なかったらしい。
お宅は地震で塀や、屋根が損壊、納屋も傾いたため、解体したそうである。赤ちゃんが居るとのことで、先ほど購入した水を差し入れ。華正樓の肉まんも持参した。
しばらく話すと、四倉より北方の久ノ浜の話になり、連れて行ってもらうことに。
最短の6号線は土砂崩れの恐れがあるということで封鎖されており、迂回して久ノ浜に入る。
久ノ浜は壊滅状態と聞いていた。実際に見ても火災がひどく、家のほとんどが倒壊している。橋という橋が津波により薙ぎ払われていた。
久ノ浜の漁業組合は解散してしまったそうだ。つまり、この地域での漁業は出来ないことになる。
それにまつわる産業も、甚大なダメージを受けている。仕事が無いという状況。
久ノ浜は、原発の屋内退避地域と呼ばれる場所に本当に近い。
避難所に逃げた方々でも、また戻って来て生活をしているという。
原発に抗議する大きな看板が見られた。
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| 久ノ浜。橋が寸断されている |
夕飯の最中に震度3程度の地震が何度かあったが、御家族は動じない。
これ、普通?と尋ねると、普通、という答え。風鈴が鳴ったら避難という目安らしい。
アナログにも程があるが、実はこれは正しいのかも知れない。
(4月11日の地震では、実際に風鈴が鳴り、避難したと聞いた)
しばらくお話をして、就寝。
2011年4月11日月曜日
いわき市四倉~気仙沼~陸前高田市
物資を持って、行って参りました。
詳細は、後日。
今回は初めて陸前高田市の東部、半島にある小友地区、広田地区に行って来ましたが…
…この地区は津波が町を挟み込むように両側から襲ってきた地区なのです。
………
……なんと説明したらよいか、わからない。
それほどに被害が甚大です。
けれど、間違いないことはただひとつ。
全国の皆で支援をしなくてはならない、ということ。
行動を共にした友人も同じことを口にしました。
…今回の物資提供を頂いた方々に、現地の方々からお礼の言葉を頂きましたことをご報告致します。
出来事等は、また後日。
あ、本日も私の仲間が夜に横浜を出発して、食糧を届けに向かうようです。
被災地の方々の暮らしが、少しでもよくなりますよう、願っております。
追記
支援物資は多くの場合、直接の持ち込みはできません。ですので物資は受付窓口をよく調べてから、そのルールに乗っ取ってお願い致します。
詳細は、後日。
今回は初めて陸前高田市の東部、半島にある小友地区、広田地区に行って来ましたが…
…この地区は津波が町を挟み込むように両側から襲ってきた地区なのです。
………
……なんと説明したらよいか、わからない。
それほどに被害が甚大です。
けれど、間違いないことはただひとつ。
全国の皆で支援をしなくてはならない、ということ。
行動を共にした友人も同じことを口にしました。
…今回の物資提供を頂いた方々に、現地の方々からお礼の言葉を頂きましたことをご報告致します。
出来事等は、また後日。
あ、本日も私の仲間が夜に横浜を出発して、食糧を届けに向かうようです。
被災地の方々の暮らしが、少しでもよくなりますよう、願っております。
追記
支援物資は多くの場合、直接の持ち込みはできません。ですので物資は受付窓口をよく調べてから、そのルールに乗っ取ってお願い致します。
2011年4月8日金曜日
花火と鎮魂
「止まらぬ今夏花火大会の中止、東京の「江戸川区花火大会」も開催見送り」
…とのことですが、
花火は鎮魂の為に供養に使われたり、水神さんへの捧げ物だったりしたこともあります。
ただ単に水辺で花火を上げている訳ではないのです。
ってんで、Wikipediaでも見てみて頂けますと、ちょこっと書いてあったりします。
山中他界の信仰や、
海上他界の信仰…といったあの世の信仰に於いて行われた花火がある…ということです。
新暦のお盆から、旧暦のお盆にかけて花火が多いのもこの名残りだと言われます。
ただの享楽でない花火、是非とも開催して頂きたいと切望しています。
…とのことですが、
花火は鎮魂の為に供養に使われたり、水神さんへの捧げ物だったりしたこともあります。
ただ単に水辺で花火を上げている訳ではないのです。
ってんで、Wikipediaでも見てみて頂けますと、ちょこっと書いてあったりします。
山中他界の信仰や、
海上他界の信仰…といったあの世の信仰に於いて行われた花火がある…ということです。
新暦のお盆から、旧暦のお盆にかけて花火が多いのもこの名残りだと言われます。
ただの享楽でない花火、是非とも開催して頂きたいと切望しています。
また懲りずに
行ってきます。福島県。(^3^)/
世間は原発で危険だのなんだの言っているようですが、それを原発にほど近くにいる方々に面と向かって言えるのだろうか?
政府の発表を疑うことばかりを重ねて、救われた人がいるだろうか?
僕は今ばかりはそれを疑うとか、正しいとか周りに吹聴してまわることは不毛だと思う人の一人です。実際に現地に飛び込んで行く人々や、地元を愛する人々によって支えられているという事実を重要視することにしてます。
なんやかんや言っても、原発は止まらないし、地震は起こる。津波だって来るかも知れない。
四の五の言ってるだけなのはムダです。
事実はひとつ。今、困っている人がいる。
だから、動ける人から動くのが重要だと思うのです。
今回も、様々な人の協力を得て、物資を運びます。
気持ちを届けに行きます。…情報をくれたり、物資の取り置きをしてくれたり、物資を買ってきて下さったり。
その気持ちを活かしたいなと思っています。
…さて、何やら仏教学者が色々な所で何やら書いているようですが、
私達は仏道を重要視しているのであって、仏教を重要視してはおりません。
困っている人のもとに飛び込んでこそ見える何かがあるのです。
学者さんたちも、机の上で色々言ってないで、仏門に入って頂きたい。
そう、切に願っております。
あ、何だか愚痴っぽいのでどうやら仏道失格かも(笑)愚痴もムダだなあ(´・ω・`)
世間は原発で危険だのなんだの言っているようですが、それを原発にほど近くにいる方々に面と向かって言えるのだろうか?
政府の発表を疑うことばかりを重ねて、救われた人がいるだろうか?
僕は今ばかりはそれを疑うとか、正しいとか周りに吹聴してまわることは不毛だと思う人の一人です。実際に現地に飛び込んで行く人々や、地元を愛する人々によって支えられているという事実を重要視することにしてます。
なんやかんや言っても、原発は止まらないし、地震は起こる。津波だって来るかも知れない。
四の五の言ってるだけなのはムダです。
事実はひとつ。今、困っている人がいる。
だから、動ける人から動くのが重要だと思うのです。
今回も、様々な人の協力を得て、物資を運びます。
気持ちを届けに行きます。…情報をくれたり、物資の取り置きをしてくれたり、物資を買ってきて下さったり。
その気持ちを活かしたいなと思っています。
…さて、何やら仏教学者が色々な所で何やら書いているようですが、
私達は仏道を重要視しているのであって、仏教を重要視してはおりません。
困っている人のもとに飛び込んでこそ見える何かがあるのです。
学者さんたちも、机の上で色々言ってないで、仏門に入って頂きたい。
そう、切に願っております。
あ、何だか愚痴っぽいのでどうやら仏道失格かも(笑)愚痴もムダだなあ(´・ω・`)
2011年4月7日木曜日
義援金が分配されないこと
が、問題視されて、寄付が集まらなくなっているようです。
これは、非常に嘆かわしいこと。
早く分配しろ!!!
と、言う声が多いのですが、ちょっとまった方がいいと思うのです。
理由は、以下。簡単な事柄のみで大きく3つ。
1:地域の情報を握る民生委員や、福祉関係員、役人さんも被災されたり、津波により亡くなってしまっているため、的確な情報が得にくい。行政は末端に管理を任せている部分がかなりあります。
末端に連絡をとり、お金を回していくシステムが、機能しないのです。役場のデータごと流されてしまっているところも少なくありません。
2:被災者に配れ、という方がいらっしゃいますが、短絡的です。一人あてにいくらになるでしょうか?
下手をすれば何千円も行き渡りません。復興費用として、のちに計算をして利用した方が良いのです。
3:避難所の人数の推移があまりにも流動的。ホームページなどで人数把握が出来る自治体があるのですが、実際に行ってみると避難所が解散していたり、人数がずいぶん違うといったことが多々あります。人に直接義援金を使う、ということはかなり難しい状態です。
もっともっと細かく、難しい問題が山積しているのですが、お金が必要なことは明白です。
復興、というのは人がパンを食べられる、水が飲めるというレベルでは到底ありませんし、
生活を出来るだけ元に戻していくということが要求されてきます。
被災者に直接使って欲しい、直接使用のお金はもちろん大切です。
ですが、日赤などの義援金は実は長期に見た場合、とても重要なものです。
自分で物資を集めたり、現地に行ったりした人はわかると思いますが、
いくらあっても、たりません。
これは、本当です。
昨日もTシャツや下着、靴下、学用品を買い求めましたが、
あっという間に5万円を超え、10万円超えます。
ぜんぜん足りません。
Tシャツを100枚集めると、6枚1780円で、いくらになるでしょう?
30万人にそれを一枚ずつ配ったとして?
途方もない額になります。
さらに毎日の食事も・・・と。
お金が必要なのは間違いありません。
個人に使っていくよりも、現地の雇用を生むようなことに使うのが一番良いと思っています。
現時点で配布の予定が無い、というのはむしろ誠実な対応だと僕は思っています。
原発の動きによっては、もっと事態は流動的になります。
震災が起こってから、まだ一か月も経っていません。
皆様、どうぞ、義援金の熱を冷まさぬよう、お願いいたします。
これは、非常に嘆かわしいこと。
早く分配しろ!!!
と、言う声が多いのですが、ちょっとまった方がいいと思うのです。
理由は、以下。簡単な事柄のみで大きく3つ。
1:地域の情報を握る民生委員や、福祉関係員、役人さんも被災されたり、津波により亡くなってしまっているため、的確な情報が得にくい。行政は末端に管理を任せている部分がかなりあります。
末端に連絡をとり、お金を回していくシステムが、機能しないのです。役場のデータごと流されてしまっているところも少なくありません。
2:被災者に配れ、という方がいらっしゃいますが、短絡的です。一人あてにいくらになるでしょうか?
下手をすれば何千円も行き渡りません。復興費用として、のちに計算をして利用した方が良いのです。
3:避難所の人数の推移があまりにも流動的。ホームページなどで人数把握が出来る自治体があるのですが、実際に行ってみると避難所が解散していたり、人数がずいぶん違うといったことが多々あります。人に直接義援金を使う、ということはかなり難しい状態です。
もっともっと細かく、難しい問題が山積しているのですが、お金が必要なことは明白です。
復興、というのは人がパンを食べられる、水が飲めるというレベルでは到底ありませんし、
生活を出来るだけ元に戻していくということが要求されてきます。
被災者に直接使って欲しい、直接使用のお金はもちろん大切です。
ですが、日赤などの義援金は実は長期に見た場合、とても重要なものです。
自分で物資を集めたり、現地に行ったりした人はわかると思いますが、
いくらあっても、たりません。
これは、本当です。
昨日もTシャツや下着、靴下、学用品を買い求めましたが、
あっという間に5万円を超え、10万円超えます。
ぜんぜん足りません。
Tシャツを100枚集めると、6枚1780円で、いくらになるでしょう?
30万人にそれを一枚ずつ配ったとして?
途方もない額になります。
さらに毎日の食事も・・・と。
お金が必要なのは間違いありません。
個人に使っていくよりも、現地の雇用を生むようなことに使うのが一番良いと思っています。
現時点で配布の予定が無い、というのはむしろ誠実な対応だと僕は思っています。
原発の動きによっては、もっと事態は流動的になります。
震災が起こってから、まだ一か月も経っていません。
皆様、どうぞ、義援金の熱を冷まさぬよう、お願いいたします。
2011年4月6日水曜日
買い出し
・・・に、行ってきます。いろいろ揃えた上で、週末にまた友人といわきに参ります。 四倉に友人が居るとのことで、そこに行く途中でまたいろいろ物資を運びながらという話になっています。時間と体力があれば、北上していろいろ調査に行ってきたいなと思っているのですが。
体力が、続くかな???
そして、今日は、ほんとうに暖かい!!!
明日、まる(編註:しゅんみょの愛犬)が狂犬病の注射ということで、ほこりまみれになって、しかも臭くなってきていたので、洗うことになりまして。
5歳になったんで、ちょっとは落ち着くかなと思っていたのに、ちっとも落ち着く気配が無いラブ。
いや、デブラドール。
洗うと喜びながらも、じっとしてます。
撫でてもらうのがいいらしい。・・・・洗っているだけなんですけれど。
桜も七分咲き。青空に桜が綺麗な時期になってきましたね。
もうすぐ、たけのこも出始める時期!!
初物を本尊様にお供えして、被災地復興祈願をしたい。
昨日、訪れたお寺では、御遺骨が30体近く御座いました。
ショックをうけつつ、拝んできましたが・・・・・・お位牌も仮のものですが作られており、お名前もわかっているようです。(中には○○家とあり、おそらく一家で・・・・)
亡くなられた方の中でも、まだ良い方なのだなと。言い方は善くないと思いつつも。
供養をしてもらえる、ということは、重要なことです。
無念にして亡くなられた方こそ、必要なのです。
がれきを片付けていると、遺体が発見されることがあり、僧侶がお経を・・・・と、思うと、その暇もなく自衛隊が引き取りにくるそうです。
自衛隊の方々も合掌をしたりと、気持ちを込めて下さっております。
けれど。
亡くなられた方々の死の尊厳。これは大切にしなければならないと思います。
もう少しすれば、状況も少し落ち着いてくるでしょう。
そのときに、「ああ、何もしてやれなかった」という人が増えてくると予想されます。
けれど、そこに行政は介入しないでしょうね。
供養をする、ということは、遺族の心のケアとして非常に重要なことでもあります。
核を成すものと言って良いのです。
「無念にして亡くなってしまったが、せめて何かしてやりたい」
その気持ちを形にして、皆で共有することが如何に大切なことか。
今後の焦点のひとつです。(もちろん多くのマスコミは取り上げません)
石巻では何百もの遺体が仮埋葬されている墓所に行き、御線香を供えて読経をして参りました。
なんとも言えない気持ちになりました。生涯忘れることはできません。
私達ですらそうなのです。
遺族の想いは如何ばかりか・・・・・
・・・・さて、写真はまるが夕飯を我慢している写真です。よだれまみれ。
なごんでくださいませ!!
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